如果望去的人在光线之下而看不清脸,那凝望的那个人是不是正处在黑暗之中?而那看不清表情的人,是不是正背对着光?
光束透过身体,又是不是为了对抗这充满寒冰的世界,而选择让自己成为这世界的冰?
这是日剧的黄金年代的尾巴,平成十一年,在迈向新世纪的年头,日剧一如即往的绽放属于它的光芒,纯爱题材似乎还没看到任何衰落的征兆,而悬疑风正悄然刮起。如果说《沉睡森林》的大获成功是打开了新大门的突破之作的话,那《冰之世界》的出现应该是野泽尚的在这一题材上的一次震撼所有人的呐喊。富士的月九剧,99年的冬季,是冰,也是光。
毫无疑问那是菜菜子奠定新日剧女王的几年,铃木保奈美和山口智子相继退隐,浅野温子老去,年轻的广末凉子,松隆子们的青春风暴还撼不动以悲情色彩为主的纯爱正剧地位,同代的内田有纪处在从短发女孩转型到长发女人的艰难路上,三十代的江角真纪子才刚刚凭借《三十拉警报》闯出名气,同样大器晚成的同代大姐头篠原凉子还在等着弟弟们长大,凭借着连续几年的《G T O》,《魔女的条件》,《冰之世界》,《大和抚子》,还有电影《午夜凶铃》的热映,人气开始逐渐超越中山美穗,饭岛直子,樱井幸子,酒井法子这些前辈和同辈,同样被被誉为“正统派”代表的仲间由纪惠在00年后才凭借《圈套》,《极道鲜师》系列展露头脚,中谷美纪,菅野美穗,深津绘里虽然也渐渐绽放光芒,但一直是处于追赶着的身位。可以说能够统治那个年代的并在几乎每一年都引发巨大热度的菜菜子,已经追上了前辈常盘贵子的脚步。
竹野内丰注定不会一直是《悠长假期》里没太多戏份的男二。同样的长发,江口洋介在剪短之前一直是浪子的银幕形象,而相比之下竹野的眼神似乎更加深邃,和大男孩代表织田裕二,木村拓哉,反町隆史,福山雅治,筒井道隆们的对比下,整张脸散发荷尔蒙的他有着充满故事的眼神,而相比后期硬汉形象居多的柳叶敏郎,仲村亨,唐泽寿明们铁汉拼命压抑但仍然溢出的情感,竹野内丰似乎天生就有着是为爱而生的柔情气质。《星之金币》,《悠长假期》,《海滩男孩》,《世纪末之诗》,竹野内丰也如人气窜升的菜菜子一样,在那个年代几乎成为家喻户晓的名字。
菜菜子的身上,有着相反两种气质,她的身高,身材,形象无疑都是女神,大姐头们该有的属性,但比起米仓凉子和江角真纪子,菜菜子略显婴儿肥的脸庞又带有浓厚的邻家女生的气质。而这两种气质却很好的糅合在菜菜子的身上。如果说有谁能适合搭档虐恋戏中的菜菜子,那游走在男人和男孩之间的竹野内丰无疑是最好的人选。
整部剧首先抓人眼球的是这个出色的片头,无论是《101次求婚》里片头丑憨善良和武田铁矢追求孤单的女神浅野温子时的可爱画风,还是《Boss》那样富有节奏韵律的华丽出场,抑或是《昼颜》那般唯美,光野道夫总是能把片头做成值得品味的艺术品。光线在光野道夫的作品里常常有着十分重要的作用。整部剧中光线的运用可谓是无处不在,片头更是如此。令人诧异的是,相比于很多纯爱剧喜欢的众生相,主要演员都露个脸,片头里只有英器和塔子出现,伴随着有时代感但又绝不过时的有些科幻富有光线色彩变幻的图案和光纹,悬疑,虐恋这两点要素很好的表达了出来。值得当季的最佳片头赏。
在音乐部分,本剧也是极其出色。大师岩代太郎操刀的OST原声大碟里,《The Color of Eternal Love》这首鼓点节奏感下提琴的悠扬在剧中每每情节走向高潮时出现,基本全专辑听完,剧情立即就在脑海中浮现。片头用的是冰室京介的《Diamond Dust》是比较温柔的男声,搭配片头恰到好处。而值得一提的是剧中在后半段,感情戏份的高潮里用的是席琳迪翁的《Just Walk Way》,果然最动情处还是需要高亢悠扬的女高音,个人觉得这里用伊藤由奈或米西娅也很不错。可惜最佳主题曲仅获提名。
作为悬疑+虐恋题材的剧,首先在悬疑部分做的十分出色,概括起来就是悬念丛生,美中不足。大多数人直到最后一集都很难猜到凶手,在前面十集里围绕着菜菜子身上的谜团,不断的推出一个可疑的人又给予否定,这保证了整部剧大多数时候悬疑是足够的,而能否得到观众的认可在于谜底是否合理。在这方面就略显瑕疵。龅牙姐作为凶手,从排除法而言可以锁定的,就剧里给到的理由,手法等等也是没有问题。但作为正儿八经的悬疑推理,提前给到观众所有的线索,而不是通过隐藏关键线索来隐藏犯人的存在。否则势必会面临质疑,完全换一个不相关的人也可以做到。问题二就在于龅牙姐几乎没有利用到任何只有她这个身份能够做的事,比如有个警察父亲,警察丈夫来为作案创造条件。当然除此之外,整个剧情在疑团上的安排我认为是出色的。另外值得肯定的就是龅牙姐中岛朋子的演技,类似剧里最终女犯人的告白其实是非常难表演的,过火了容易感觉神经兮兮,太震惊又容易感觉不够张力,相比之下,我还是很喜欢龅牙姐最后的表演。
悬疑+恋爱剧的方向有两种,一类就是以《继续》,《沙妆妙子》为代表的以悬疑为主,中间穿插爱情,一类就是以《沉睡森林》,《从天降一亿颗星星》为代表的有浓厚悬疑色彩,但讲的实际是某段感情。前者本质还是悬疑剧,后者本质还是爱情剧,比起纯爱剧单纯以人的感情为线索推进剧情,悬疑剧无疑在剧情推进,丰富程度等方面拥有更加广泛的空间。本剧在感情线上的争议应该是远大于悬疑部分。我们需要理解创作爱情题材的剧本时,选择的感情越不同寻常,越反常伦,话题性和新颖程度就越强,但随之而来的争议和评判声剧越多,也导致创作难度直线上线,体现在如何让多数人理解这段感情里的争议,如何去感动而不是反感。爱上一个看似危险的女人,愿意冒着牺牲生命的风险这没有任何问题,编剧挑战的是,第一男主英器抛弃有着八年感情的庄野,分手过程过于简单粗暴,与其说另寻新欢不如说是被勾了魂。第二就是女主塔子五年四个未婚夫,死了三个还是可以继续爱。正如光野道夫在昼颜里用唯美的拍摄,音乐,细腻的感情戏去让观众感同身受,尽量少的去展示前任之间的温情,让后来者在cp感上反而先入为主。我个人对于英器是理解的,英器是一个内心敏感,执着,对于自己这份职业的意义有着深刻理解的男人,他一直在追问的两个问题,金钱和生命的关系,以及如何在充满冰的世界里前行。前者是他的社会责任感和人生观,后者是他情感的需要。塔子无疑完美的契合他所追求的这两点。而塔子身上的危险和谜题反而成为男人眼中的魅力和激发征服和保护欲的点。我不知道爱情是否至于每个人都存在,但英器开始察觉塔子和她身上发生的事情时,他的目光变呆滞了,女友庄野没有做错任何事,没有任何不好,但我想喜欢与爱的区别,在对比的一瞬间,就分出了胜负了吧。我不会对不曾描绘的事附加不着边际的揣测,从前两个人是否也有深沉的爱,是否感情随时间淡化这些编剧导演没说,我们其实也不该过多的道德介入。但确定的事,编剧在英器对庄野的态度的残酷,尤其是最后一集里,英器“死了”,所有的抢救,哭戏,镜头都给到塔子,反而让我感觉有些不自然,编剧想表达说,在生死之际,庄野的悲伤和塔子的悲伤无法相提并论,所以最后庄野的主动退出是合理的。但我想这点还是处理的有待斟酌,庄野同样上去哭,而不是毫无戏份的游离在镜头之外是更合理的。或许在编剧写出塔子从直升机跳下,跳入海中救起一个男人,又在医疗人员放弃治疗宣告死亡的时候大显神通,鬼门关捞人的情节时,就放弃了更加耐心的情节过渡了吧。这点也是这部剧没能冲击更高的一点。至于塔子连续爱不同的男人,哪怕前任离奇死亡,我认为持有这类观点的人的内心里可能缺少疤痕吧,编剧对于塔子的刻画是很深刻的,被迫亲手点火烧死父母,换来金钱才能活下去,在爱情中始终无法全力以赴的不顾自我,对于男人疯狂的爱,愿意牺牲生命的爱无法去回应,对于生命的离去她比谁都痛苦,但在这冰的世界里,为了对抗寒冷,为了如履薄冰的前行,她不得已化身为冰的一部分,爱她的人如果只看到从她身上透过的光,而单纯的想要让她去脱下冰衣,是没办法走进她内心最深处,最薄弱的地方的。
英器做到了。
本剧的镜头中,光线的运用是如火纯青的。除开前面提到的片头的光,最让人印象深刻的,一个是英器沉入海底时从海面照射进来的光束,一个就是在塔子敲石头的办公室里,百叶窗外夕阳斜射进房间的画面。最让我感动的一幕发生在房间里,英器蹲在地上抬头看着被自己保险单弄哭的塔子,追问她到底获得了什么比保险金更重要的东西时,突然恍然大悟。“原来如此!”。我想正是在此刻,英器终于发现自己早已爱上了眼前这个女人,他明白了那三个男人为何都要填写以她为受益人的保单,为何又会取消。英器和离去的前任们一样,爱上了这个充满危险的女人。而塔子颤抖着举起手里的锉刀,哭着说别靠近我的时候,内心的防线早已崩溃。这是她也从未有过的,没有一个男人像英器这般深入她的灵魂,发出如此炙热的拷问,她的冰失效了,强撑着像个刺猬一样说这别靠近我,
然后,也爱上了这个男人。
仲村亨继《沉睡森林》后再次担任野泽尚笔下的男二,贡献了极其出色的演出,那份男人看着自己爱的女人因为自己爱的越深,像害怕坏人一样躲在角落颤抖时,那份爱而不得的痛苦交织愤怒,悲伤的情绪,被很好的展示出来。内田长发的模样比之短发有些灵气不在,只是居然和十几年后DoctorX里面的模样几乎一致,实在让人感慨青春不老。第一次看到如此年轻的远藤宪一有点不习惯,及川光博倒是在白色巨塔里看到过,真嫩啊两个人。
总结下来,在悬疑虐恋剧中,《冰之世界》 > 《沉睡森林》> 《从天而降的一亿颗星星》,分别高一个层次。《从天而降的一亿颗星星》属于剧情问题太多,木村那个男主的光环太大,感情戏做作,情节和《沉睡森林》很多相似之处。好在主演都演技非常在线。《沉睡森林》本身就优秀许多,但谜题和感情方面相比《冰之世界》显得不够深刻,悬疑方面做得不够。片尾和木村最后的眼泪是亮点。而《冰之世界》在悬疑和虐恋两方面都做得很棒,配乐做到了一流,镜头和光线的运用堪称教科书,虽有不足但瑕不掩瑜,仍然是一部及其出色的作品。考虑到类似题材剧的数量较少,可以说,是目前我看过的同类第一。
――昨年の『眠れる森』に続いて今回『氷の世界』もミステリーですね。
野沢 大体、テレビドラマって、今は主演のツートップが決まってから企画が始まるんですよ。『眠れる森』は「中山美穂と木村拓哉で何か」という、まさにそのパターンだったんですけど、今回は珍しく企画ありきのところからスタートしたんです。
――でも“月9”でミステリーというのは正直、驚きました。
野沢 “月9”が王道にしてたラブストーリーの手がなくなってきたってことでしょうねぇ。やっぱり『ロンバケ』でもう満腹感になった。あれを超えるものが出てないですよね。実は今回、“月9”っていう枠自体にもかなり抵抗あったんです。過去に降板したこともあるんで(野沢氏は96年『おいしい関係』を当時の月9的要望と合わず途中で降板している)。最初は『眠れる森』と同じ時間帯でやらせてほしいと言ったんですが、まあ枠の性格とかを考えなくてもいいという話も上層部の人からあって。じゃあやってみようか、と。
――保険業界を舞台に選んだんですか? やっぱり和歌山のカレー事件などがヒントに?
野沢 身内が犠牲になるパターンが圧倒的に多いわけですから、鬼畜的な犯罪を描くことができる。つまり一番現代が見えるモチーフなんですよ。“月9”がラブストーリーの王道をいっていた時代だったら、絶対通らない企画だったと思いますけど。背景が複雑でも、ディテールがしっかりしていればみんな見てくれるんだという確信を『眠れる森』で持つことができたんです。
――以前、インタビューで「視聴者の質を高めたい」っておっしゃってましたが、それがうまくいった?
野沢 ある殺気みたいなものを視聴者に与えるようなことをずっとやりたかったんですよ。一回も見逃さずに緊張感を持ってすべてのセリフを聞いてもらって、トイレに立つのはCMの時だけ(笑)。視聴者と作り手の間に緊張感がないようなドラマでも、楽しんで見ているのはどうしても許せない。
――ドラマって、3、4話くらいまで書いたところで1話目がオンエアされて、その視聴率を見て次の展開を調整するとかよく言われますよね。
野沢 テレビドラマは大体生き物として捉えられてきたんですね。視聴者の反応を見て作り変えていくというような。でも、僕は最終回まで12時間ドラマとして最初から考えて作っていますから、様子を見て直すことは絶対ないです。
――そういう書き方の脚本家の方ってほかに…。
野沢 皆無です。僕は正しい作り方としてそれしかやってこなかったんで、逆に先を考えずに書いていくなんてどうしてできるんだろうと、そっちのほうが不思議ですね。だから、僕のような脚本家が一人ぐらいいてもいいんじゃないですか(笑)。やっぱり自分の見たいものが世の中にないんで、自分で作ってみるかって気分はありますね。
(略)
――テレビと映画の違いは?
野沢 映画って、やはり監督のものじゃないですか。だから、映画だけではどうしても鬱屈してしまいますね。テレビのほうが常に中核にいるという実感がありますね。もちろん、テレビでも数字を取るばっかりじゃないっていう自覚はあるんですよ。自分が書くドラマのベースは13%だと思ってますし。それでも、年にワンクールずつ仕事があったんで。30%は一生に一回くらい取ってみたいなと思ってましたね。でも、30%取ると作家って変わるらしいんですよ、やっぱり(笑)
――『眠れる森』で30%取ったじゃないですか。何か変わりました?
野沢 僕は……あんまり。もともと儚いもんだと思ってますから。
(略)
以上、「週刊SPA!」1999年11月17日号より引用。
【シナリオ創作のノウハウ】
(『親愛なる者へ』のころ、)大多さん(大多亮プロデューサー)は当時『東京ラブストーリー』や『愛という名のもとに』で数字的な極みまでいっていましたからね。次にやるのは視聴率は気にしないで、冒険してみたい、と。彼は中島みゆきの『悪女』をモチーフにした不倫劇をやりたくて、僕は夫婦の恋愛ドラマをやりたかった。そこで思惑が合致したという感じでしたね。大多さんはトップの位置にいるプロデューサーでしたから、それに対抗するにはどうすればいいだろうって考えたんですよ。で、とにかく最終回までのプロットを作って、登場人物の細かな履歴書も作って、自分がこういうことをやりたいんだということを最初に見せてしまおう、と。やりたいことを100%見せて、その中で、7、8割でもできればいいという、そういう闘い方をしたんですね。そのやり方は、今でも連ドラを書くときの僕の基本となっていますね
多分、僕くらいでしょうね、そういう(連続のスタート前にプロットを全て作るという)やり方をしているのは。やっぱり連ドラは生モノで、視聴者と一緒に育てていくという感覚があるからなんでしょうね。それを一概には否定しないけど、僕にはそういう作り方は到底できない。12回なら12時間を1つのドラマとして、視聴者はそれを全部見るんだという前提で、最初から最後まで計算して作ります。その手法は『眠れる森』でミステリーをやり始めてから、特に生きるようになりましたね。ミステリーは計算しないとできないですから
脚本家にとって一番大切なのは、協調性ですよ。これは自分が小説を書くようになって非常によく分ったことですけど、やっぱり必要なのは人の海の間を泳ぐ才能ですね。いろんな要望の海の中を泳いで、それはやりますから、その代わりにこれは絶対やらせてくださいとプロデューサーと取引をしたり、どうしてもロケができないと言われれば、シチュエーションを変えたり、そういう柔軟さが必要ですよね。要するに脚本っていうのは、集団作業の楽しみが味わえる、極めて体育会系的なノリなんですよ。みんなで頑張って、1つの作品を作ろうという。対して小説というのは個人作業で、成功も失敗も全部自分のものという世界
『親愛~』(『親愛なる者へ』)がちょうど結婚3年目だったんですよ。で、目の前の女と共に一生を生きなければいけないのかと考えたときに、恋人時代とは違う夫婦の恋愛をしないと、40、50年もとても一緒には生きられないという思いがあって。じゃあ、それは何だろうというのがテーマだった。次の『素晴らしきかな人生』では、家族から放たれるということを描きたかった。家族が家族として生きていくために、家族にこだわるんじゃなくて、1人ひとりが旅に出ていくという。放たれて、行って、また戻ってくればいいじゃないか、と。そういう存在として夫婦や家族をとらえようとした作品です。僕の場合、その時どきに感じていた自分の実感が作品にかなり出るんですよ。で、『この愛に生きて』のころは、自分と女房をつなげているのは、もう子供しかないんじゃないかと思って。じゃあ、その子供がいなくなったら夫婦は何でつながるんだろうというのを考えたドラマですね。打ち上げのときに(出演者のひとりの)山本圭さんに、ドラマでも子供を殺すなんて絶対にやっちゃいけないと言われて、それは結構グサッときたんですけど。ただ、子供を殺すというシチュエーションがないと、やっぱり自分の言いたいことは言えませんでしたからね。そういう風に3作夫婦の話をやってきて、ちょっと夫婦という関係に夢を見ようと思って作ったのが、『恋人よ』。結局最後まで抱き合わない、男と女が小指の温もりだけでつながるという…夫婦のロマンみたいなことを最後にやって、とりあえず夫婦というテーマは自分の中では終わったかな、と
【小説について】
映画の脚本を自分でノベライズした『ラストソング』というのもありますけど、一番最初に書いた小説は『恋人よ』の原作ですね。あれは先に小説で原作を書いて、それを自分で脚色したんですよ。で、そのくらいから、乱歩賞を意識して書き始めて3年目にやっとという感じですね。『青い鳥』をやった年に取れました。脚本と小説を同時に書いていたことは、非常に精神衛生上よかったですね。人と会うのが面倒になったらこもって小説を書いて、それで人恋しくなったらまたドラマを書くために人に会うという。それが交互に入っていると一番いいですね。今後は、比重としては小説が多くなるとは思いますが、ドラマをやめるということは多分ないでしょう。自分の原作を自分で脚本にするという形でやっていくと思います。脚色というのは、まず原作を否定するんですよ。そうやって核心をむき出しにする。肉を削いで骨をあらわにするのが脚色の仕事なんですよ。自分の小説を自分で脚色するのは難しいよって山田太一さんに言われたんですが、まあ媒体が違うから別物と割り切って、ドラマでは違う形の作品ができると、僕は思っているんですけどね
【『青い鳥』(1997)について】
(『青い鳥』のような)ロードムービーというのはドラマ制作者のあこがれですからね。お金と手間をかけて、それをやってやろうという。これが成功すればドラマも広がるなって気合いも入ってたんですけど…『青い鳥』に関しては消化不良でしたね。幸せというのはなんだろうというテーマがあって、僕はそれを最後に豊川(豊川悦司)氏に言わせたかった。幸せとはどういうものかということを極めて具体的に脚本の中に書いたんです。でも、それを彼は無言で分らせたくて、結局、削ったんですけど…。やっぱり、言わせなければ表現できなかったというのが、僕がそのシーンを見た感想です。まあ集団作業の一員としては、しょうがないなとも思いますけど。逆に集団でやるので、自分では思ってもいなかったものができるときもあって、それが楽しいですよね。このドラマでも土井裕泰監督が非常に優秀な方で、映画以上の重量感のある映像を作り出してくれた。またTBSに行くときは、あのチームで、今度はフラストレーションを解消しようと思います
【最近作『眠れる森』(1998)と最新作『氷の世界』(1999)】
あれ(『眠れる森』)は中山美穂と木村拓哉という役者ありきで出発したドラマで、2人とも恋愛ドラマに飽きていたこともあって、ミステリーという形になったんです。連ドラでミステリーをやるというのは、ほとんど前例がなかったから、手探りしながらでしたけど、ただ、最終回までのプロットをあらかじめ作るという僕のやり方が一番生きた素材だったし、準備期間も十分かけられて、納得のいく仕事でしたね。実は『青い鳥』と『眠れる森』はテーマ的につながってるんですよ。僕は『青い鳥』で、人生はやり直しができるということを書いたんですけど、見終わって、そんなに甘いものかと思ったんですよ。人間はやり直しなんかできないんじゃないかって。だから『眠れる森』は、人生はやり直しなんかできなくて、すべてを抱えて生きていくしかないという話だった。それでも生き続けろという、ね。それはユースケ(ユースケサンタマリア)さんと木村さんの最後のシーンに集約されている。僕はそれがやりたかったんです。で、今度の『氷の世界』というのは、またそのつながりで…やり直しのできない人生を抱えて生きろっていうのは、言うのは簡単だけど、何か支えがなきゃ生きてはいけないだろう、と。それは何だろうというのがテーマ。要するに、それが“愛”なんだ、と。そうやって本物の愛を見つけていく主人公の物語ですね。タイトルは、人の体や命が簡単に金に変わってしまう、氷のように非情な世界という意味。保険金犯罪をモチーフにしてるんですけど、最近特にひどいですからね。書いてて、こんなことは起きないだろうということが現実に起きちゃいますから。そういう非情な世界の中で、人間は何をよりどころに生きていくのか。結局は、愛がこの世を救っていくのではないかというのをやってみようかなって
(以上、『TV LIFE秋ドラマの本』〈学習研究社〉より引用)
又看了一遍,第一次看菜菜子饰演魔女般的角色。广川英器为了调查被保险公司和警察同时盯上的涉嫌五庄命案的高校地理教师而江木塔子而与其结识。随着调查一步步深入,英器渐渐陷入悬疑和迷茫。但是调查有了转折,英器还是发现到塔子总是缄口不言事有蹊跷,他将塔子从世俗和阴谋的绑架中解救了出来。这部剧要表达的就是不应该judge任何一个女人,世俗的眼光、过分褒义贬义的评价都会让他人不得不在意而带上面具。为什么有些时候人们会不得不去说谎?男人对女人的评价会让女人在意,甚至会让女人用这种眼光去审视自己和其他的女人。一部呼吁女权的经典片,塔子纯洁地追求爱犹如爱的化身,让人不得不联想到《奥赛罗》的女主善良的化身Desdemona为追求纯洁的爱情却由于嫉妒而死于非命。黄金时代日剧的配乐也是一个亮点,首先是岩代太郎好莱坞配乐级的《the color of enternal love》跌宕起伏;《outside the heatbeats》仿佛要将世界冻结;席琳迪翁的《just walk away》那句'I know i never loved this way before, and no one else loved me more'太销魂;冰室京介的《diamond dust》成了永恒的经典。
大爱的两个演员搭档,并出色的飚了一回演技。
每一个角色都有自己的故事都会和案件有关联,传说中的烂尾的确是有点SHOCK,似乎一切都解释的通却又无比牵强。7话前昏昏欲睡,7话后峰回路转。当年的月九真是大制作,大量的外景最后一集还直升机!作为菜菜子死忠的我第一次发现菜菜子的演技。第七话绝对的神演技!三田什么的弱爆了!
2022.4.15 日本人啊,总要用肉体的伤害甚至死亡来捆绑爱情。
悬疑得没什么意思,故弄玄虚
用悬疑的外壳来阐述爱情的关系,冰上的世界并没有那么牢固,裂缝早已随处可见,每个人与生俱来便拥有爱一个人的本能,只是如果仅以此作为落脚点那份炙热的爱便会化作占有与撩夺,想要奉献一切也想独占彼此的全部,直至完全失去自我依然无法得到满足,付出与接纳同样的重要,唯有爱与被爱的平等才能让双方完美契合相互信任,"我爱你,我只爱现在的你,这就足够了",这一刻会成为永恒。p.s:❤️松岛菜菜子~
岩代太郎
悬疑啊。暑假在哥哥家看的。哥哥果然是处女座的,连看个电视都每天一集要按进度来的,小时候被折磨的够呛。
菜菜子演技了得;结局实在不太合理
结尾很弱,之前都很好。
总觉得是《月满轩尼诗》里面汤唯在看的侦探小说的来源~
月子为塔子披上毛毯的一刻才终于热泪盈眶——四个前女友,终于有一个不恨她了啊。。。
野沢尚是天才。這麼多熟悉的面孔,居然還有栗山千明,一頭長髮。。一眼就看出來了。
中考前几个月吧在凤凰看的,当时很喜欢。
悬疑片的壳爱情片的核,情痴者爱到卑微爱到恨,痴情人坚持在爱里保持自我即使被人怨恨也在所不惜,一段感情里究竟该奋不顾身全情投入还是留三分理智一分清醒,编剧用连环杀人案的方式告诉了我们,痴情人大团圆结局,情痴者迷失自我害人害己。
虽然冲着悬疑去的,不过这片绝对是高纯度的纯爱片呀~~悬疑质量确实不错,一路都只能预测2集左右的内容,完全摸不明之后的走向,没想到最后还能全部说圆了~竹内叔叔真不错~菜菜子把这女王演得更是没话说呀><~各种萌点好多~不过整体节奏还是稍慢了点~以及,这绝对是女权片呀~~
菜菜子在里面太漂亮太有魅力了。终于把《GTO》里挂在墙上的偶像竹野内丰搞定了,还是神魂颠倒那种😍✌
压抑 晦暗 烂尾
这片说是纯爱还真够呛,倒是让人觉得爱中的人很可怖,一个人去相信另一个人,理解另一个人,尊重另一个人似乎万难做到,与我的常识有偏差啊。喜欢两个特别酷的场景,1.菜菜子说那你来看清楚,下一个爱上我的人是谁。2,竹野内丰掉进海里,菜菜子从直升机上跳下去救他,简直女神。
超强的一对组合,故事情节也安排得身份吸引人,很多小细节小问题不停地左右着你的想法,让你猜不出,谁,才是真正的凶手……非常记得最后一亩,竹野被困在两难的境地当中,天上的余辉是橙黄色的,他的犹豫和彷徨也是橙黄色的……
悬疑,纯爱,偶像,凶杀,推理,救赎,阳光硬朗,浪漫纯情,这音乐,这气场,很难再现,70后这批演员在90年代真是迷死人了,最后一集的表白泄底,一身鸡皮疙瘩,马蛋,演凶手的也是我女神之一啊,经常这么哀愁的苦逼角色,哎。野泽尚两部神作《沉睡的森林》《冰之世界》,真是要什么有什么。